こちらをお訪ねください。
http://2448g96after09.seesaa.net/
2009年04月06日
2009年03月29日
ブログ編集後記 その2 あとがき
このブログは2005年の3月から始めて、途中2006年7月からアクセスカウンターをつけて今日現在で87000HITを越えています。最初からカウンターをつけていたら10万HITを越えていたかもしれませんね。たくさんの人に見ていただき、ちょっと怖いなという気もするのですが・・・。
ブログを作った時の最初のタイトルは「78FC西柴 Generation 96-97」というものでした。これはチーム名を勝手に使ったかんりにんの先走りが指摘され、反省ののち現在のブログ名に落ち着きました。
こっそりブログを作成したつもりが、1週間後には一部サポーターの知るところになり、簡単な試合記録のつもりだったのが練習風景やら試合記録やらを取り込み拡充。ビデオシアターまで作り、しだいにライフワーク的になってきました。
たぶん”G96”サポーターにブログが広く認知されるようになったのは3年生の時の合宿速報の記事。記事と合宿のフォトアルバムは練習の終わった夜遅くに合宿の宿のパソコンルームで大汗をかきながらUPしていた大作で、コーチや合宿帯同のお母さん方には「あの人何してんのかしら?」と不思議がられていたのではないかと思いますが、自分だったら知りたいことを、早くサポーターのみなさんに伝えるというなんか使命感なものをもってやっていました。こういうのFCのホームページでもやったらウケると思うんですけどね。合宿の夜はみんな飲んでるからそれどころじゃないか・・・。
「試合後のホームページ楽しみにしてます」と言われることが多くなり、試合が終わると眠い目をこすりながらUPをしていたのですが、内容を間違えているとサポーターからすぐに「間違っている」とのご指摘もいただき、あわてて修正。
6年になると試合が多すぎて、かんりにんも試合が終わって家にかえるとくたくたで、記事のアップをさぼっていると「大丈夫ですか?」とのメール。皆さんからの期待がひしひしと伝わり、がんばってなんとか記事を書いてきました。
子供たちに対する批判的な内容をホームページに書くのはどうなのだというご指摘を受けたことがあります。この点については自分は思うところがあって、あえてそうした内容を書いてきています。子供たち自身が読んでいることも十分意識しました。試合内容に厳しいことを書いたのはサポーターだけではなく、こどもたちにもこのブログを振り返ってみることにより、コーチがあの時何を言っていたのかを思い出してもらおうという意図です。
子どもたちは結構コーチの厳しい指摘を聞き流しています。「コーチが何を今いったかもう一度言ってごらん」という質問をすると、しどろもどろの子は少なくありませんでした。だから比較的忠実に櫻井コーチ、堀コーチの発言は記録を取りブログに書いています。
もちろんかんりにんの個人的な意見は今までの記事で多数書いています。これも批判は覚悟で厳しいことを書いたことはあります。ただし私は勝手な解釈ですべて「記録」だと思っています。
このブログは許されるなら今後もそのままにしておきます。中にはコーチから子供たちへの「褒め言葉」も「厳しい意見」も含めメッセージがたくさんあるはずです。”G96”のみんながいつかこのブログを見ることで初心に戻るようなことがあればうれしいです。
ブログを開始したとき、当時LLの事務局の粕川コーチがFCのコーチ会議でこのブログを取り上げていただき、ブログをやるのは黙認いただいた上で、
・チームの批判はしない
・相手チームの批判はしない
・自チーム内の紅白戦の結果は書かない
というお約束事項をいただき、それは常に意識して書いてきましたが、なにしろ勢いで書いていることもあり、どなたかに失礼があったかもしれません。もしあったとすればここでお詫び申し上げます。
この”G96”という言葉はかんりにんが勝手に使い始めた言葉ですが、いまやYahooで”G96”を検索すれば、2番目ぐらいに出てくるぐらい認知され、この世代の子供たちが自ら「G96」と名乗る場面もあり、なんだかブログも西柴”G96”ということばも自分の子供と一緒に大きくなってしまった感じです。謝恩会で粕川コーチの「西柴”G96”ファイト!」にみんなが「オー!」って反応している光景はとてもうれしかった・・・。
また他チームの方にもこのブログを見てますというお言葉をいただきました。都度恐縮していたのですが、MHI横浜カップの際にはブログ上で「西柴頑張れ!」とのコメントをいただいたり、他チームのコーチから試合に誘われる際に「西柴”G96”のみなさんは元気ですか?」と言われたと聞くととてもありがたいような、なんか気恥かしいような・・・。
対戦相手にも恵まれ、子供たちは大きく成長したと思います。チームのみなさんだけでなく、対戦した各チームの方々にも感謝したいと思います。
今後はどうするのか?
かんりにんはFCのコーチは辞めますが”G96”のサポーターを辞めるわけではありません。
いろいろな方から「ブログを中学でも続けて!」と言われます。
誰かに迷惑をかけないかと気にしつつ、自分がみんなを応援する過程で見たり聞いたりしたことを、別の形で引き続きお知らせすることができればとは考えています。さすがにもう毎週というわけに行かないですけども・・・。FCを離れた方々も気が向いたらちょっと立ち寄ってみてください。
ぜひ何年後かには”G96”の同窓会という記事も書きたいですね。
直接、間接的にみなさんに支えられ、このブログはこの記事が867番目。実質4年間ですから1年で200超。実はSuporters+にしか書いてない記事もあるので結構書いてますね。自分でもびっくりです。相当ヒマだったんかな?結構会社の仕事もまじめにしてるつもりなんだけどね・・・。
時にはコーチからも情報をいただき、なんとか西柴”G96”の子供たちの大きな「成長記録」を残せました。長い間お付き合いいただきありがとうございました。また謝恩会前後にはブログ読者のみなさんからたくさんの感謝の言葉をいただきホントにうれしかったです。あらためて御礼申し上げます。
またブログに批判が起こったときのことを考え、ブログの直接の作成にはできるだけ正コーチを巻き込まないようにしていたので、同じお父さんコーチの楠山コーチ、佐藤コーチ、小島コーチにはブログ作成過程でお手数をおかけしずいぶん助けていただきました。ありがとうございました。
”G96”サポーターのみなさん、”G96”の全員がこれからもみなさんの「子供たち」。
サッカーを続ける子も離れる子もどんどん大きく成長していくことでしょう。これからも西柴”G96”の少年たちを応援していきましょう
それではまたどこかのグラウンドで・・・
2008年 3月29日
ブログかんりにん
ブログを作った時の最初のタイトルは「78FC西柴 Generation 96-97」というものでした。これはチーム名を勝手に使ったかんりにんの先走りが指摘され、反省ののち現在のブログ名に落ち着きました。
こっそりブログを作成したつもりが、1週間後には一部サポーターの知るところになり、簡単な試合記録のつもりだったのが練習風景やら試合記録やらを取り込み拡充。ビデオシアターまで作り、しだいにライフワーク的になってきました。
たぶん”G96”サポーターにブログが広く認知されるようになったのは3年生の時の合宿速報の記事。記事と合宿のフォトアルバムは練習の終わった夜遅くに合宿の宿のパソコンルームで大汗をかきながらUPしていた大作で、コーチや合宿帯同のお母さん方には「あの人何してんのかしら?」と不思議がられていたのではないかと思いますが、自分だったら知りたいことを、早くサポーターのみなさんに伝えるというなんか使命感なものをもってやっていました。こういうのFCのホームページでもやったらウケると思うんですけどね。合宿の夜はみんな飲んでるからそれどころじゃないか・・・。
「試合後のホームページ楽しみにしてます」と言われることが多くなり、試合が終わると眠い目をこすりながらUPをしていたのですが、内容を間違えているとサポーターからすぐに「間違っている」とのご指摘もいただき、あわてて修正。
6年になると試合が多すぎて、かんりにんも試合が終わって家にかえるとくたくたで、記事のアップをさぼっていると「大丈夫ですか?」とのメール。皆さんからの期待がひしひしと伝わり、がんばってなんとか記事を書いてきました。
子供たちに対する批判的な内容をホームページに書くのはどうなのだというご指摘を受けたことがあります。この点については自分は思うところがあって、あえてそうした内容を書いてきています。子供たち自身が読んでいることも十分意識しました。試合内容に厳しいことを書いたのはサポーターだけではなく、こどもたちにもこのブログを振り返ってみることにより、コーチがあの時何を言っていたのかを思い出してもらおうという意図です。
子どもたちは結構コーチの厳しい指摘を聞き流しています。「コーチが何を今いったかもう一度言ってごらん」という質問をすると、しどろもどろの子は少なくありませんでした。だから比較的忠実に櫻井コーチ、堀コーチの発言は記録を取りブログに書いています。
もちろんかんりにんの個人的な意見は今までの記事で多数書いています。これも批判は覚悟で厳しいことを書いたことはあります。ただし私は勝手な解釈ですべて「記録」だと思っています。
このブログは許されるなら今後もそのままにしておきます。中にはコーチから子供たちへの「褒め言葉」も「厳しい意見」も含めメッセージがたくさんあるはずです。”G96”のみんながいつかこのブログを見ることで初心に戻るようなことがあればうれしいです。
ブログを開始したとき、当時LLの事務局の粕川コーチがFCのコーチ会議でこのブログを取り上げていただき、ブログをやるのは黙認いただいた上で、
・チームの批判はしない
・相手チームの批判はしない
・自チーム内の紅白戦の結果は書かない
というお約束事項をいただき、それは常に意識して書いてきましたが、なにしろ勢いで書いていることもあり、どなたかに失礼があったかもしれません。もしあったとすればここでお詫び申し上げます。
この”G96”という言葉はかんりにんが勝手に使い始めた言葉ですが、いまやYahooで”G96”を検索すれば、2番目ぐらいに出てくるぐらい認知され、この世代の子供たちが自ら「G96」と名乗る場面もあり、なんだかブログも西柴”G96”ということばも自分の子供と一緒に大きくなってしまった感じです。謝恩会で粕川コーチの「西柴”G96”ファイト!」にみんなが「オー!」って反応している光景はとてもうれしかった・・・。
また他チームの方にもこのブログを見てますというお言葉をいただきました。都度恐縮していたのですが、MHI横浜カップの際にはブログ上で「西柴頑張れ!」とのコメントをいただいたり、他チームのコーチから試合に誘われる際に「西柴”G96”のみなさんは元気ですか?」と言われたと聞くととてもありがたいような、なんか気恥かしいような・・・。
対戦相手にも恵まれ、子供たちは大きく成長したと思います。チームのみなさんだけでなく、対戦した各チームの方々にも感謝したいと思います。
今後はどうするのか?
かんりにんはFCのコーチは辞めますが”G96”のサポーターを辞めるわけではありません。
いろいろな方から「ブログを中学でも続けて!」と言われます。
誰かに迷惑をかけないかと気にしつつ、自分がみんなを応援する過程で見たり聞いたりしたことを、別の形で引き続きお知らせすることができればとは考えています。さすがにもう毎週というわけに行かないですけども・・・。FCを離れた方々も気が向いたらちょっと立ち寄ってみてください。
ぜひ何年後かには”G96”の同窓会という記事も書きたいですね。
直接、間接的にみなさんに支えられ、このブログはこの記事が867番目。実質4年間ですから1年で200超。実はSuporters+にしか書いてない記事もあるので結構書いてますね。自分でもびっくりです。相当ヒマだったんかな?結構会社の仕事もまじめにしてるつもりなんだけどね・・・。
時にはコーチからも情報をいただき、なんとか西柴”G96”の子供たちの大きな「成長記録」を残せました。長い間お付き合いいただきありがとうございました。また謝恩会前後にはブログ読者のみなさんからたくさんの感謝の言葉をいただきホントにうれしかったです。あらためて御礼申し上げます。
またブログに批判が起こったときのことを考え、ブログの直接の作成にはできるだけ正コーチを巻き込まないようにしていたので、同じお父さんコーチの楠山コーチ、佐藤コーチ、小島コーチにはブログ作成過程でお手数をおかけしずいぶん助けていただきました。ありがとうございました。
”G96”サポーターのみなさん、”G96”の全員がこれからもみなさんの「子供たち」。
サッカーを続ける子も離れる子もどんどん大きく成長していくことでしょう。これからも西柴”G96”の少年たちを応援していきましょう
それではまたどこかのグラウンドで・・・
2008年 3月29日
ブログかんりにん
2009年03月28日
”G96”世代 「あすなろ杯」総括
先日金沢区大会についてまとめをしてみましたが、もうひとつ”G96”にとって重要な大会を振り返っておくのを忘れていました。
それは「あすなろ杯」
この大会には”G96”は1年生の時から参戦し、6年間に12回出場。そのうちなんと9回は決勝トーナメントへと進出しています。
西柴”G96”あすなろ杯の軌跡
asunaro-6years.htm
あすなろ杯では”G96”による上位入賞は計5回。
SL2年生の時には”G96”Bチームが春/秋2大会連続準優勝
(第47回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/5515271.html
(第48回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/11025550.html
LL4年の時には”G96”Bチームが秋の大会で4位入賞
(第52回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/34552363.html
L5年の時には”G96”Aチームが春/秋2大会を連覇。
(第53回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/49584894.html
(第54回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/71857572.html
”G96”Aチームはこの大会の連覇に自信をもち、6年生になって快進撃を始めます。
この大会では出場したカテゴリーのトップチームではない、1年、3年、5年の時にも必ず決勝トーナメントに進出してきたのも立派。
この大会には市大会出場の各クラブトップチームが出てきていなかった。一方で市大会出場よりもあすなろの優勝というようにも見えるチームもいたように見受けられた大会だっただけに、上位進出は決して楽なものではありませんでした。
6年間で一番悔しかったのは最後の56回大会。
西柴Aとして”G96”Bチームが参加したこの大会は強豪相手に予選で互角に渡り合い、予選最終試合までもつれ、予選突破が得失点差にもつれる可能性もあった。
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/109320782.html
今でも最後が両チームにとって予選突破がかかる緊張感のある試合だったら・・・と思わずにはいられません。本当に予選を突破させてやりたかった。
この大会は市大会ほどの認知度はないものの、表彰式も豪華、決勝まですすめば新聞にも掲載される、選手たちにとってもモチベーションの高い大会でした。卒団式でみんなで分けたトロフィーや楯の中にもあすなろ杯のものがたくさんありましたね。
市大会に出られない選手たちの大会。でも”G96”にとってはとても重要な大会でした。
あすなろ杯もまた末永く続きますように・・・。
それは「あすなろ杯」
この大会には”G96”は1年生の時から参戦し、6年間に12回出場。そのうちなんと9回は決勝トーナメントへと進出しています。
西柴”G96”あすなろ杯の軌跡
asunaro-6years.htm
あすなろ杯では”G96”による上位入賞は計5回。
SL2年生の時には”G96”Bチームが春/秋2大会連続準優勝
(第47回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/5515271.html
(第48回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/11025550.html
LL4年の時には”G96”Bチームが秋の大会で4位入賞
(第52回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/34552363.html
L5年の時には”G96”Aチームが春/秋2大会を連覇。
(第53回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/49584894.html
(第54回大会)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/71857572.html
”G96”Aチームはこの大会の連覇に自信をもち、6年生になって快進撃を始めます。
この大会では出場したカテゴリーのトップチームではない、1年、3年、5年の時にも必ず決勝トーナメントに進出してきたのも立派。
この大会には市大会出場の各クラブトップチームが出てきていなかった。一方で市大会出場よりもあすなろの優勝というようにも見えるチームもいたように見受けられた大会だっただけに、上位進出は決して楽なものではありませんでした。
6年間で一番悔しかったのは最後の56回大会。
西柴Aとして”G96”Bチームが参加したこの大会は強豪相手に予選で互角に渡り合い、予選最終試合までもつれ、予選突破が得失点差にもつれる可能性もあった。
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/109320782.html
今でも最後が両チームにとって予選突破がかかる緊張感のある試合だったら・・・と思わずにはいられません。本当に予選を突破させてやりたかった。
この大会は市大会ほどの認知度はないものの、表彰式も豪華、決勝まですすめば新聞にも掲載される、選手たちにとってもモチベーションの高い大会でした。卒団式でみんなで分けたトロフィーや楯の中にもあすなろ杯のものがたくさんありましたね。
市大会に出られない選手たちの大会。でも”G96”にとってはとても重要な大会でした。
あすなろ杯もまた末永く続きますように・・・。
2009年03月27日
西柴”G96”Aチーム フォーメーションの変遷
西柴”G96”Aチームのサッカーをフォーメーションから振り返ってみましょう。
西柴”G96”は人数も多かったので1年生の時は均等分けの2チームで試合をこなしていました。このころはひたすらボールに「アタック」。とにかくボールのあるところに寄せていくことを中心にやっており、お団子サッカーに近い。
2年生になってから初めての公式戦「木村和司杯」で初めてAチームが編成され、これ以後A/B両チームが試合で活躍します。
Aチームは春の木村杯では2バック。秋の国チビでも登録上は2バック。下のフォーメーションでは将馬と翔太郎はDFになっていますが、実際のメンバー表では2−6−2の2バックで貴弘と優大がバック。
2年の後半からだったと思いますが3バックになりました。2年の冬の区大会あたりから侑希がセンターバック。将馬、優大のバックもほぼ定着。
3年の春のあすなろ杯では大洋がAチームデビューし、以後しばらくAチームで劇的な活躍をしました。
3年の夏のカップ戦でもまだ侑希がバック。ただしこのころにAチームは4バックなども試し始めています。
3年の秋ごろから将馬のセンターバックが固まり始め、侑希はボランチへ。
3年生でメダルをとってFC関係者を驚かせた冬の区大会では3バックのディフェンス陣がほぼ定着。
4年初めの木村和司杯では諒弥が右DFに。諒弥は西柴では右のサイドアタッカーという印象が強かったのですが、4年の最初のころはDFでの起用も多かった。
4年秋の国チビでも3バックは健在。このあたりから航の右サイドバックが活躍を始めます。
その後4年の冬季区大会での優勝を目指して4バックが出現。2006年年末の鶴嶺カップでセンターバックに起用された真聖が持ち前のしつこいディフェンスを見せ、その後将馬/真聖のディフェンスが定着。
以後、4バックは公式戦ではほぼ固定され、鉄壁のディフェンスを元に西柴”G96”トップチームの公式戦での快進撃が始まります。
5年生で春/秋の大会Lの部連覇を果たしたあすなろ杯でもAチームのメンバー/フォーメーションはほぼ固定。
FCのトップチームとして初めてのぞんだ5年冬の市長杯では章太のスピードを生かしサイドに、トップ下にはボールをキープでき、アイデアあるパスを出す亨を配置する布陣へ。このフォーメーションは6年の半ばまで続きます。
春の木村和司杯では15名のメンバーで臨みましたが、先発のメンバーはほぼ固定され、剛志−将馬−侑希−亨のセンターラインががっちりし、しっかり気持ちが入ったプレーをすれば安定した成績が出せるようになってきた感じ。
木村和司杯決勝トーナメントでは、強豪相手に章太をボランチに入れる4−2−3−1のフォーメーションが出現。
そしてこの大会を最後に慎也がAチームを離れましたが、チームはさらに熟成していきます。
そして振り返ってみるとチームとしては絶頂にあったと思われるのが6年生の9月のこのフォーメーション。夏季区大会とMHI横浜カップではほぼこのメンバーが中心になっていましたが、相手を寄せ付けない強さを見せて公式戦を2週連続優勝。
秋の国チビでは、通常は4−4−2、強いチームとの試合では4−2−3−1とフォーメーションを使い分けましたが、さすがにマリノスには通じなかった・・・
チームのさらなる飛躍を期して、櫻井コーチが11月の藤沢招待で試したのが3−4−3の超攻撃的フォーメーション。GKがスイーパーを兼ねるというコンセプトのフォーメーションでしたが、子どもたちの理解を越えてしまったのかこれはうまく機能せず。
再び4−2−3−1でサイドを使う攻撃を熟成し、最後の県大会・区大会に臨みました
冬の公式戦でいいところを見せられなかったのは残念。かんりにんが思うに、フォーメーションのせいというよりは、秋以降、Aチームの選手たちの間に微妙な温度差ができてきたというのがその原因だったのかもしれません(これはかんりにんの私見)
こうしてフォーメーションで振り返ってみると、だんだんとお子ちゃまサッカーから、曲がりなりにも世界でもスタンダードのサッカーへと子供たちのサッカーは変貌したきたことがわかります。
ただ見ていても面白かったですよね・・・
西柴”G96”は人数も多かったので1年生の時は均等分けの2チームで試合をこなしていました。このころはひたすらボールに「アタック」。とにかくボールのあるところに寄せていくことを中心にやっており、お団子サッカーに近い。
2年生になってから初めての公式戦「木村和司杯」で初めてAチームが編成され、これ以後A/B両チームが試合で活躍します。
Aチームは春の木村杯では2バック。秋の国チビでも登録上は2バック。下のフォーメーションでは将馬と翔太郎はDFになっていますが、実際のメンバー表では2−6−2の2バックで貴弘と優大がバック。
2年の後半からだったと思いますが3バックになりました。2年の冬の区大会あたりから侑希がセンターバック。将馬、優大のバックもほぼ定着。
3年の春のあすなろ杯では大洋がAチームデビューし、以後しばらくAチームで劇的な活躍をしました。
3年の夏のカップ戦でもまだ侑希がバック。ただしこのころにAチームは4バックなども試し始めています。
3年の秋ごろから将馬のセンターバックが固まり始め、侑希はボランチへ。
3年生でメダルをとってFC関係者を驚かせた冬の区大会では3バックのディフェンス陣がほぼ定着。
4年初めの木村和司杯では諒弥が右DFに。諒弥は西柴では右のサイドアタッカーという印象が強かったのですが、4年の最初のころはDFでの起用も多かった。
4年秋の国チビでも3バックは健在。このあたりから航の右サイドバックが活躍を始めます。
その後4年の冬季区大会での優勝を目指して4バックが出現。2006年年末の鶴嶺カップでセンターバックに起用された真聖が持ち前のしつこいディフェンスを見せ、その後将馬/真聖のディフェンスが定着。
以後、4バックは公式戦ではほぼ固定され、鉄壁のディフェンスを元に西柴”G96”トップチームの公式戦での快進撃が始まります。
5年生で春/秋の大会Lの部連覇を果たしたあすなろ杯でもAチームのメンバー/フォーメーションはほぼ固定。
FCのトップチームとして初めてのぞんだ5年冬の市長杯では章太のスピードを生かしサイドに、トップ下にはボールをキープでき、アイデアあるパスを出す亨を配置する布陣へ。このフォーメーションは6年の半ばまで続きます。
春の木村和司杯では15名のメンバーで臨みましたが、先発のメンバーはほぼ固定され、剛志−将馬−侑希−亨のセンターラインががっちりし、しっかり気持ちが入ったプレーをすれば安定した成績が出せるようになってきた感じ。
木村和司杯決勝トーナメントでは、強豪相手に章太をボランチに入れる4−2−3−1のフォーメーションが出現。
そしてこの大会を最後に慎也がAチームを離れましたが、チームはさらに熟成していきます。
そして振り返ってみるとチームとしては絶頂にあったと思われるのが6年生の9月のこのフォーメーション。夏季区大会とMHI横浜カップではほぼこのメンバーが中心になっていましたが、相手を寄せ付けない強さを見せて公式戦を2週連続優勝。
秋の国チビでは、通常は4−4−2、強いチームとの試合では4−2−3−1とフォーメーションを使い分けましたが、さすがにマリノスには通じなかった・・・
チームのさらなる飛躍を期して、櫻井コーチが11月の藤沢招待で試したのが3−4−3の超攻撃的フォーメーション。GKがスイーパーを兼ねるというコンセプトのフォーメーションでしたが、子どもたちの理解を越えてしまったのかこれはうまく機能せず。
再び4−2−3−1でサイドを使う攻撃を熟成し、最後の県大会・区大会に臨みました
冬の公式戦でいいところを見せられなかったのは残念。かんりにんが思うに、フォーメーションのせいというよりは、秋以降、Aチームの選手たちの間に微妙な温度差ができてきたというのがその原因だったのかもしれません(これはかんりにんの私見)
こうしてフォーメーションで振り返ってみると、だんだんとお子ちゃまサッカーから、曲がりなりにも世界でもスタンダードのサッカーへと子供たちのサッカーは変貌したきたことがわかります。
ただ見ていても面白かったですよね・・・
2009年03月23日
ブログ編集後記 その1「マッチプレビュー」
このブログに書くにあたっては、実は私は誰が読むかをかなり意識して書いていた記事がいくつかあります。
もちろん一般の読者ではなく、西柴の関係者のだれが読むか?
これをかなり意識して書いていたのが、マッチプレビュー。時にフレンドリーマッチでも、わかる範囲で対戦相手がどんな実績を上げているチームなのか?過去の西柴”G96”との対戦はどんな結果なのかを書いていますが、これは過去の出来事に対する自分なりの思いから書き始めたものです。
みなさんあんまり覚えていないかもしれませんが”G96”は3年生の時の冬、2005年12月11日に横須賀で城北ファイターズ主催のフレンドリーマッチに参加しました。この日は前日にあすなろ杯のベスト8で惜しくもPK負け敗退が決まり、その夜お父さんとコーチは飲み会。翌日はとても寒い午前で見ているお母さんサポーターもとてもつらそうでした。そんな緩んだ気持ちは子供たちにも伝染、それでも1/2試合目は城北ファイターズに勝利し、その日招待されていた別のチームとの試合になります。
当時は県下のチームに対する知識もあまりなく、普通に試合に臨んで1点取られて負けましたが、なんとなく「あー最後負けちゃった」だけで終わった1日。
(その日の記事)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/10534745.html
実はこの対戦相手は藤沢の強豪「六会湘南台」でした。この強豪とは実はそれ以後”G96”単独チームとの対戦の機会はなく、”G96”5年生で一部選手が参加した冬の県大会の予選で、”G95”の中央大会進出を阻んだチームとして西柴の関係者には記憶されています。
かんりにんはあとあとよく考えてみて、”G96”がその日の「六会湘南台」との対戦をなんとなくやって、どうでもいい結果で終わってしまったことにはちょっと残念な思いがあり、それなら相手がどんなチームなのかを予習していったほうがいいかなと思ったのがプレビュー記事を書き始めたきっかけです。
公式戦にはかんりにんの分析を書いたりしてましたが、記事を読んで「なんとヒマな人なんだ・・・!」とあきれてた方もいらっしゃるかもしれません。でも過去の実績というものはそれなりに役に立つもので、たいがいは今まで西柴が直接対戦した成績とか、直接西柴が対戦したことはなくとも、対戦チームが前に実施した試合の結果である程度結果が予測できるという面はありました。市大会予選での予選突破を争うライバルチームの予測などはほとんどはずれてないと思います。
コーチはこのプレビュー記事を読んでいらっしゃって、かなり構えて試合に臨むこともあったようですね(試合前のコーチの檄を聞いていると「ああブログ読まれたんだな・・・」というところはかんりにんもわかります)
”G96”のこどもたちもたぶんこの記事を読んでいたと思います。それは試合前の言葉の端々でわかります。相手が強豪であるというインプットをすると特に”G96”Aチームは全力を出し切るしっかりとした試合をすることが多かったので、記事を読んでいるならそれはそれで「シメシメ」って感じでした。
ただ情報のインプットが多すぎて失敗した面もあったように思います。何度か過去の対戦成績から試合前に「楽勝だよ」と子供たちの気持ちが緩んでしまい、情けない試合をしたケースもあり。実は結構重要な試合も落としています。こうしたプレビュー記事もよしあしですね。
こうした記事を書いてきて一番思ったのは、6年生の9月ごろから過去の”G96”の対戦成績がまったく参考にならなくなってきたということ。それはどのチームも子供たちの体が大きくなったり、スピードが付いてきたりして変貌を遂げていたからだろうし、一方で”G96” に慢心があって最初から試合をなめてかかり、痛い目にあったという面もあったかもしれません。
たぶん6年生の中ごろからは各チームともに大きく成長する時期なのでしょうね。”G96”の成長スピードが落ちたということか?そんなこともないと思うが・・・。2008年にはいってから6年生の前半までは華々しい成績を上げていた”G96”Aチームでしたが、10月以降は決して満足のいく結果ばかりではなかったのは事実。
サポーターから見て”G96”は地元小学校を母体とする少年団チームとしては強いチームでしたが、かんりにんが”G96”って圧倒的に強いなと思ったのは5年生の夏の「こえだカップ」と6年の「MHI横浜カップ」の時ぐらいで、あとは結構ハラハラドキドキ。
強いはずなんだけど、そうでもないときもある。それがサポーターがつき合ってきた”G96”世代の78FC西柴というチームだったような気がします。
結局マッチプレビューはサポーターの精神衛生上はあんまり役にたちませんでしたかね・・・
もちろん一般の読者ではなく、西柴の関係者のだれが読むか?
これをかなり意識して書いていたのが、マッチプレビュー。時にフレンドリーマッチでも、わかる範囲で対戦相手がどんな実績を上げているチームなのか?過去の西柴”G96”との対戦はどんな結果なのかを書いていますが、これは過去の出来事に対する自分なりの思いから書き始めたものです。
みなさんあんまり覚えていないかもしれませんが”G96”は3年生の時の冬、2005年12月11日に横須賀で城北ファイターズ主催のフレンドリーマッチに参加しました。この日は前日にあすなろ杯のベスト8で惜しくもPK負け敗退が決まり、その夜お父さんとコーチは飲み会。翌日はとても寒い午前で見ているお母さんサポーターもとてもつらそうでした。そんな緩んだ気持ちは子供たちにも伝染、それでも1/2試合目は城北ファイターズに勝利し、その日招待されていた別のチームとの試合になります。
当時は県下のチームに対する知識もあまりなく、普通に試合に臨んで1点取られて負けましたが、なんとなく「あー最後負けちゃった」だけで終わった1日。
(その日の記事)
http://78fcgeneration96to97.seesaa.net/article/10534745.html
実はこの対戦相手は藤沢の強豪「六会湘南台」でした。この強豪とは実はそれ以後”G96”単独チームとの対戦の機会はなく、”G96”5年生で一部選手が参加した冬の県大会の予選で、”G95”の中央大会進出を阻んだチームとして西柴の関係者には記憶されています。
かんりにんはあとあとよく考えてみて、”G96”がその日の「六会湘南台」との対戦をなんとなくやって、どうでもいい結果で終わってしまったことにはちょっと残念な思いがあり、それなら相手がどんなチームなのかを予習していったほうがいいかなと思ったのがプレビュー記事を書き始めたきっかけです。
公式戦にはかんりにんの分析を書いたりしてましたが、記事を読んで「なんとヒマな人なんだ・・・!」とあきれてた方もいらっしゃるかもしれません。でも過去の実績というものはそれなりに役に立つもので、たいがいは今まで西柴が直接対戦した成績とか、直接西柴が対戦したことはなくとも、対戦チームが前に実施した試合の結果である程度結果が予測できるという面はありました。市大会予選での予選突破を争うライバルチームの予測などはほとんどはずれてないと思います。
コーチはこのプレビュー記事を読んでいらっしゃって、かなり構えて試合に臨むこともあったようですね(試合前のコーチの檄を聞いていると「ああブログ読まれたんだな・・・」というところはかんりにんもわかります)
”G96”のこどもたちもたぶんこの記事を読んでいたと思います。それは試合前の言葉の端々でわかります。相手が強豪であるというインプットをすると特に”G96”Aチームは全力を出し切るしっかりとした試合をすることが多かったので、記事を読んでいるならそれはそれで「シメシメ」って感じでした。
ただ情報のインプットが多すぎて失敗した面もあったように思います。何度か過去の対戦成績から試合前に「楽勝だよ」と子供たちの気持ちが緩んでしまい、情けない試合をしたケースもあり。実は結構重要な試合も落としています。こうしたプレビュー記事もよしあしですね。
こうした記事を書いてきて一番思ったのは、6年生の9月ごろから過去の”G96”の対戦成績がまったく参考にならなくなってきたということ。それはどのチームも子供たちの体が大きくなったり、スピードが付いてきたりして変貌を遂げていたからだろうし、一方で”G96” に慢心があって最初から試合をなめてかかり、痛い目にあったという面もあったかもしれません。
たぶん6年生の中ごろからは各チームともに大きく成長する時期なのでしょうね。”G96”の成長スピードが落ちたということか?そんなこともないと思うが・・・。2008年にはいってから6年生の前半までは華々しい成績を上げていた”G96”Aチームでしたが、10月以降は決して満足のいく結果ばかりではなかったのは事実。
サポーターから見て”G96”は地元小学校を母体とする少年団チームとしては強いチームでしたが、かんりにんが”G96”って圧倒的に強いなと思ったのは5年生の夏の「こえだカップ」と6年の「MHI横浜カップ」の時ぐらいで、あとは結構ハラハラドキドキ。
強いはずなんだけど、そうでもないときもある。それがサポーターがつき合ってきた”G96”世代の78FC西柴というチームだったような気がします。
結局マッチプレビューはサポーターの精神衛生上はあんまり役にたちませんでしたかね・・・
2009年03月22日
西柴”G96”Aチーム最後のフレンドリーマッチ
@厚木市 富士通厚木総合グラウンド
1040 78FC西柴 1-2 FCヴァリエ都留(山梨)
1150 78FC西柴 2-7 山王JFC(伊勢原)
1455 78FC西柴 2-0 FC南生田サントス(川崎)
西柴”G96”、78FC西柴での最後の試合。
西柴”G96”Aチームのメンバーがともに試合をするのもこれが最後でした。
キャプテン#2は体調不良で欠場。結局2月の区大会を最後にAチームが全員がそろうことはなかったのは残念。
今日も天候がわるく強風も吹く中の試合だったようです。最後の試合が勝利で終わってよかったね。
かんりにんも残念ながら最後の試合をみることはかないませんでした。
みんなに「またね・・・」と言いたいところでしたが、まあこれが最後じゃないからね。
Aチームのみんな、最後までみんな頑張ったね。
中学でも、それぞれの道で活躍を。
コーチ、ご父兄のみなさんも長い間お疲れ様でした。
これで終わりではないですが、ひとつの区切りですね。
今後とも一緒に子供たちを応援していきましょう
1040 78FC西柴 1-2 FCヴァリエ都留(山梨)
1150 78FC西柴 2-7 山王JFC(伊勢原)
1455 78FC西柴 2-0 FC南生田サントス(川崎)
西柴”G96”、78FC西柴での最後の試合。
西柴”G96”Aチームのメンバーがともに試合をするのもこれが最後でした。
キャプテン#2は体調不良で欠場。結局2月の区大会を最後にAチームが全員がそろうことはなかったのは残念。
今日も天候がわるく強風も吹く中の試合だったようです。最後の試合が勝利で終わってよかったね。
かんりにんも残念ながら最後の試合をみることはかないませんでした。
みんなに「またね・・・」と言いたいところでしたが、まあこれが最後じゃないからね。
Aチームのみんな、最後までみんな頑張ったね。
中学でも、それぞれの道で活躍を。
コーチ、ご父兄のみなさんも長い間お疲れ様でした。
これで終わりではないですが、ひとつの区切りですね。
今後とも一緒に子供たちを応援していきましょう
2009年03月19日
「僕たち、私たちは飛び立ちます」〜西柴”G96”の卒業式
3月19日 暖かい午前。
西柴”G96”のほとんどの子が通っていた西柴小学校では、卒業式が行われました。翔太郎の小学校もたぶん一緒だよね?

見慣れぬスーツやブレザー姿の子供たちは表情も緊張気味です。

西柴小に通っていた”G96”は「元」も含めると31名。今年の卒業生が140数名でしたから2割強を占めます。卒業式の写真をとっていると忙しい・・・。

最後のみんなのうたを聞いてるとさすがにググッときますね〜。
卒業生退場のときの姿を見ているとさわやかな笑顔の子もいれば、意外な子が号泣してたりとさまざまな表情の”G96”。それぞれの思いがあっての卒業式だったのでしょう。
それぞれの進路に進むので、今までは毎週のように会っていたけど、今日を最後にしばらく会わない子もいるでしょうね。
みんな元気で・・・。
西柴”G96”のみんな、卒業おめでとう
西柴”G96”のほとんどの子が通っていた西柴小学校では、卒業式が行われました。翔太郎の小学校もたぶん一緒だよね?

見慣れぬスーツやブレザー姿の子供たちは表情も緊張気味です。

西柴小に通っていた”G96”は「元」も含めると31名。今年の卒業生が140数名でしたから2割強を占めます。卒業式の写真をとっていると忙しい・・・。

最後のみんなのうたを聞いてるとさすがにググッときますね〜。
卒業生退場のときの姿を見ているとさわやかな笑顔の子もいれば、意外な子が号泣してたりとさまざまな表情の”G96”。それぞれの思いがあっての卒業式だったのでしょう。
それぞれの進路に進むので、今までは毎週のように会っていたけど、今日を最後にしばらく会わない子もいるでしょうね。
みんな元気で・・・。
西柴”G96”のみんな、卒業おめでとう
2009年03月15日
泣かせるねえ・・・、”G96”の謝恩会
卒団式の午後、16時半から西柴”G96”とその関係者は上大岡の某イタリアンレストランに集結。
FCの謝恩会。この日は貸し切り。
子供ははじっこに集まりいつもの調子でおしゃべりやゲーム(これがPSPだったりするんだな)、コーチや父兄もそれぞれ飲み会の雰囲気。
会の途中からはお母さんの仕切りで、コーチのみなさんもそれぞれあいさつ。
粕川コーチのシュプレヒコールは、最初ノリの悪い”G96”にコーチがこけまくってましたが最後盛り上がったね。

「にししば”G96”ファイト!!」ってコールはかんりにんとしては”G96”ってのがすっかり認知されたって意味でもとてもうれしかったです。
そしてひとしきりコーチの挨拶があったあとにはサプライズ企画。
ひとつはコーチの奥さんへのプレゼント。

貴重なご主人の休みを子供たちのために「提供」いただいた恩は、ほんとは物だけじゃ返しきれせませんがほんの気持ち。これからはコーチもご家族と楽しむ時間が増えるとよいですね。
最後の最後は、1年間頑張っていただいたお母さん役員にこどもから感謝の花束。

お母さん、マジ号泣でした。
いろいろお母さん同士が仕掛けたとはいえ、役者”G96”泣かせるねえ。
こういうのでお母さんを泣かせるのはいいが、このあと悪さしてお母さんを泣かせたら許しませんよ〜。
というわけで最後は櫻井コーチご発声の「一本締め」でしめくくり、楽しく2時間過ごした謝恩会、なごりを惜しみながら現地でみんなは解散。
大人たちはそれぞれ2次会に散っていきました・・・。
会場でいろんな方から「ブログはこれからどうなるんですか?」と聞かれました。「ぜひ中学も続けてください!」とも。ウーム・・・。
しかしながらあらためてたくさんのサポーターの方に見ていただいて恐縮です。
「ブログみて、泣きましたよ〜」とか言われると、それを狙ってたわけではありませんが、かんりにんも感激です・・・。ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
さてさてこれからどうしようかな??
ちょっと思案中です・・・・
FCの謝恩会。この日は貸し切り。
子供ははじっこに集まりいつもの調子でおしゃべりやゲーム(これがPSPだったりするんだな)、コーチや父兄もそれぞれ飲み会の雰囲気。
会の途中からはお母さんの仕切りで、コーチのみなさんもそれぞれあいさつ。
粕川コーチのシュプレヒコールは、最初ノリの悪い”G96”にコーチがこけまくってましたが最後盛り上がったね。

「にししば”G96”ファイト!!」ってコールはかんりにんとしては”G96”ってのがすっかり認知されたって意味でもとてもうれしかったです。
そしてひとしきりコーチの挨拶があったあとにはサプライズ企画。
ひとつはコーチの奥さんへのプレゼント。

貴重なご主人の休みを子供たちのために「提供」いただいた恩は、ほんとは物だけじゃ返しきれせませんがほんの気持ち。これからはコーチもご家族と楽しむ時間が増えるとよいですね。
最後の最後は、1年間頑張っていただいたお母さん役員にこどもから感謝の花束。

お母さん、マジ号泣でした。
いろいろお母さん同士が仕掛けたとはいえ、役者”G96”泣かせるねえ。
こういうのでお母さんを泣かせるのはいいが、このあと悪さしてお母さんを泣かせたら許しませんよ〜。
というわけで最後は櫻井コーチご発声の「一本締め」でしめくくり、楽しく2時間過ごした謝恩会、なごりを惜しみながら現地でみんなは解散。
大人たちはそれぞれ2次会に散っていきました・・・。
会場でいろんな方から「ブログはこれからどうなるんですか?」と聞かれました。「ぜひ中学も続けてください!」とも。ウーム・・・。
しかしながらあらためてたくさんのサポーターの方に見ていただいて恐縮です。
「ブログみて、泣きましたよ〜」とか言われると、それを狙ってたわけではありませんが、かんりにんも感激です・・・。ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
さてさてこれからどうしようかな??
ちょっと思案中です・・・・
西柴”G96”のFC卒団式
3月15日、晴れ。風もなく暖かい午前。
なんだか年が変わって2009年になってからはあっという間に時間が流れてしまった。
今日は我らが西柴”G96”のFC卒団式。
学校より一足先に小学生を卒業である。
9時前に会場の能見台小に集合したサッカー少年たちはリラックスムード。今日は懐かしい顔も揃って、28名が卒業。
会場設営の際に、懐かしいものがたくさん登場。彼らがFCで獲得した数々のトロフィーや楯が集められた。数にして実に31個+賞状や大会の写真パネルなどもある。これは卒団式のあと、”G96”みんなで山分け。コーチの分までありそうだ。昨年の6年生”G95”のトロフィーの数にも驚いたが、それに負けない結果を”G96”もみんなで残してきたんだな・・・

5年生同士の紅白戦、6年生同士の紅白戦のあと、いよいよ今日のメインイベント、”G96”とコーチ、父兄のと真剣勝負がスタート。
78FC西柴B 3−5 コーチ/お父さんズ

78FC西柴A 4−4 コーチ/お父さんズ


あえてスコアを書きました。
コーチたちも真剣に戦ったが、負けはしなかったもののパワーで押してももう圧倒することはできないほど”G96”は成長しています。
最後に卒団の送辞を5年生から・・・。
彼らは来週からいよいよFCの代表ユニを引き継ぎます。

そしてお世話になった堀コーチ、櫻井コーチ、野村監督、石井代表からそれぞれの”G96”に送る言葉・・・




石井代表からは「この世代にはFCとして創立31年目で初のキリンカップ出場、MHIカップ出場など、楽しませてもらった・・・」との言葉。”G96”はこのあともFCの歴史の中で語られていくことでしょう。
最後にサッカー少年たちはお世話になったお父さんお母さんにあいさつ。

かんりにんは学校の卒業式よりも、FCの卒団の方がいろいろと思うところがありました。サポーターの皆さんはいかがですか?
最後にちょっとしたサプライズ。”G96”の卒団と同時にしばらくFCを離れられる櫻井コーチには、”G96”からメッセージ入りのボールが手渡されました。
このボールはMHIカップの試合球だったもの。実戦で蹴ったボールの傷や、摩擦で着いた色もそのままに、”G96”一人ひとりから櫻井コーチへのメッセージが書かれており、もらった櫻井コーチが感極まる場面も。

本当にいい人たちに支えられて”G96”は育ってきたんだなと実感します。
実は最後にもう一度、22日に”G96”Aチームが西柴のユニフォームでプレーする機会はあるものの、みんながユニフォーム姿で集まるのはたぶんこれが最後。
お世話になった人たちには感謝の気持ちを忘れずに・・・。
幼稚園でお世話になった有川コーチ
SL期にお世話になった山口コーチ
2年生の時に指導いただいた浜崎コーチ
LL期にお世話になった粕川コーチ
5年生の時に、6年生とともに指導をいただいた正樹コーチ
3年生の時から”G96”を強くするためののマッチメイクにご尽力いただいた図師田コーチ
6年生でBチームを指導いただいた中川コーチ、藤田コーチ、大橋コーチ、啓樹コーチ
Lの事務局としてお世話になった川上コーチ
睦男監督には区選抜組がお世話になりました。
体育館練習で指導いただいた美佐子コーチ、坂本コーチ
そして石井代表・・・。
そして君たちにはたくさんのお父さんコーチがいました
練習で、試合で自らの経験をもとにアドバイスをくれた小島コーチ
忙しいなか、時間をぬっては試合に応援に駆けつけてくれた章太ぱぱ、侑希ぱぱ、真聖ぱぱ、貴弘ぱぱ、勝裕ぱぱ、翔太郎ぱぱ、わりぱぱ、達也ぱぱ・・・、志郎のおじいちゃんもいましたね。
諒が移籍してからも”G96”を見守り続けた佐藤コーチ。
実はFCの正コーチよりも子供たちといた時間は長いかもしれない楠山コーチと私かんりにん。
お父さんコーチの多さは”G96”世代の特筆すべき特徴だったのかもしれません。
もしかすると家庭では厳しいお母さんコーチもいたのかな???。”G96”のお母さんサポーターは他のどのクラブのサポーターと比べてもまったくひけをとらないアツいサポーターばかりでした。なによりお母さんたちの応援の数が、”G96”がプレイの出来に一番影響していたかもしれません。
今日でFCは卒団だけど、コーチたちもお父さんお母さんも、これからの”G96”みんなをずっと応援しています。
そのことをずっと忘れず・・・。
西柴”G96”のみんな、ずっと元気で・・・。
なんだか年が変わって2009年になってからはあっという間に時間が流れてしまった。
今日は我らが西柴”G96”のFC卒団式。
学校より一足先に小学生を卒業である。
9時前に会場の能見台小に集合したサッカー少年たちはリラックスムード。今日は懐かしい顔も揃って、28名が卒業。
会場設営の際に、懐かしいものがたくさん登場。彼らがFCで獲得した数々のトロフィーや楯が集められた。数にして実に31個+賞状や大会の写真パネルなどもある。これは卒団式のあと、”G96”みんなで山分け。コーチの分までありそうだ。昨年の6年生”G95”のトロフィーの数にも驚いたが、それに負けない結果を”G96”もみんなで残してきたんだな・・・

5年生同士の紅白戦、6年生同士の紅白戦のあと、いよいよ今日のメインイベント、”G96”とコーチ、父兄のと真剣勝負がスタート。



あえてスコアを書きました。
コーチたちも真剣に戦ったが、負けはしなかったもののパワーで押してももう圧倒することはできないほど”G96”は成長しています。
最後に卒団の送辞を5年生から・・・。
彼らは来週からいよいよFCの代表ユニを引き継ぎます。

そしてお世話になった堀コーチ、櫻井コーチ、野村監督、石井代表からそれぞれの”G96”に送る言葉・・・




石井代表からは「この世代にはFCとして創立31年目で初のキリンカップ出場、MHIカップ出場など、楽しませてもらった・・・」との言葉。”G96”はこのあともFCの歴史の中で語られていくことでしょう。
最後にサッカー少年たちはお世話になったお父さんお母さんにあいさつ。

かんりにんは学校の卒業式よりも、FCの卒団の方がいろいろと思うところがありました。サポーターの皆さんはいかがですか?
最後にちょっとしたサプライズ。”G96”の卒団と同時にしばらくFCを離れられる櫻井コーチには、”G96”からメッセージ入りのボールが手渡されました。
このボールはMHIカップの試合球だったもの。実戦で蹴ったボールの傷や、摩擦で着いた色もそのままに、”G96”一人ひとりから櫻井コーチへのメッセージが書かれており、もらった櫻井コーチが感極まる場面も。

本当にいい人たちに支えられて”G96”は育ってきたんだなと実感します。
実は最後にもう一度、22日に”G96”Aチームが西柴のユニフォームでプレーする機会はあるものの、みんながユニフォーム姿で集まるのはたぶんこれが最後。
お世話になった人たちには感謝の気持ちを忘れずに・・・。
幼稚園でお世話になった有川コーチ
SL期にお世話になった山口コーチ
2年生の時に指導いただいた浜崎コーチ
LL期にお世話になった粕川コーチ
5年生の時に、6年生とともに指導をいただいた正樹コーチ
3年生の時から”G96”を強くするためののマッチメイクにご尽力いただいた図師田コーチ
6年生でBチームを指導いただいた中川コーチ、藤田コーチ、大橋コーチ、啓樹コーチ
Lの事務局としてお世話になった川上コーチ
睦男監督には区選抜組がお世話になりました。
体育館練習で指導いただいた美佐子コーチ、坂本コーチ
そして石井代表・・・。
そして君たちにはたくさんのお父さんコーチがいました
練習で、試合で自らの経験をもとにアドバイスをくれた小島コーチ
忙しいなか、時間をぬっては試合に応援に駆けつけてくれた章太ぱぱ、侑希ぱぱ、真聖ぱぱ、貴弘ぱぱ、勝裕ぱぱ、翔太郎ぱぱ、わりぱぱ、達也ぱぱ・・・、志郎のおじいちゃんもいましたね。
諒が移籍してからも”G96”を見守り続けた佐藤コーチ。
実はFCの正コーチよりも子供たちといた時間は長いかもしれない楠山コーチと私かんりにん。
お父さんコーチの多さは”G96”世代の特筆すべき特徴だったのかもしれません。
もしかすると家庭では厳しいお母さんコーチもいたのかな???。”G96”のお母さんサポーターは他のどのクラブのサポーターと比べてもまったくひけをとらないアツいサポーターばかりでした。なによりお母さんたちの応援の数が、”G96”がプレイの出来に一番影響していたかもしれません。
今日でFCは卒団だけど、コーチたちもお父さんお母さんも、これからの”G96”みんなをずっと応援しています。
そのことをずっと忘れず・・・。
西柴”G96”のみんな、ずっと元気で・・・。
西柴”G96”卒団式予定
@能見台小
09:15〜09:35 5年生紅白戦(均等分け)20分1本
09:40〜10:00 6年生紅白戦(均等分け)20分1本
10:05〜10:50 6年B 3-5 父兄+コーチ 20分ハーフ
10:55〜11:40 6年A 4-4 コーチ 20分ハーフ
11:40〜11:50 グランド整備(5年生)
11:50〜12:20 送辞・答辞 等々
09:15〜09:35 5年生紅白戦(均等分け)20分1本
09:40〜10:00 6年生紅白戦(均等分け)20分1本
10:05〜10:50 6年B 3-5 父兄+コーチ 20分ハーフ
10:55〜11:40 6年A 4-4 コーチ 20分ハーフ
11:40〜11:50 グランド整備(5年生)
11:50〜12:20 送辞・答辞 等々

