西柴”G96”は人数も多かったので1年生の時は均等分けの2チームで試合をこなしていました。このころはひたすらボールに「アタック」。とにかくボールのあるところに寄せていくことを中心にやっており、お団子サッカーに近い。
2年生になってから初めての公式戦「木村和司杯」で初めてAチームが編成され、これ以後A/B両チームが試合で活躍します。
Aチームは春の木村杯では2バック。秋の国チビでも登録上は2バック。下のフォーメーションでは将馬と翔太郎はDFになっていますが、実際のメンバー表では2−6−2の2バックで貴弘と優大がバック。
2年の後半からだったと思いますが3バックになりました。2年の冬の区大会あたりから侑希がセンターバック。将馬、優大のバックもほぼ定着。
3年の春のあすなろ杯では大洋がAチームデビューし、以後しばらくAチームで劇的な活躍をしました。
3年の夏のカップ戦でもまだ侑希がバック。ただしこのころにAチームは4バックなども試し始めています。
3年の秋ごろから将馬のセンターバックが固まり始め、侑希はボランチへ。
3年生でメダルをとってFC関係者を驚かせた冬の区大会では3バックのディフェンス陣がほぼ定着。
4年初めの木村和司杯では諒弥が右DFに。諒弥は西柴では右のサイドアタッカーという印象が強かったのですが、4年の最初のころはDFでの起用も多かった。
4年秋の国チビでも3バックは健在。このあたりから航の右サイドバックが活躍を始めます。
その後4年の冬季区大会での優勝を目指して4バックが出現。2006年年末の鶴嶺カップでセンターバックに起用された真聖が持ち前のしつこいディフェンスを見せ、その後将馬/真聖のディフェンスが定着。
以後、4バックは公式戦ではほぼ固定され、鉄壁のディフェンスを元に西柴”G96”トップチームの公式戦での快進撃が始まります。
5年生で春/秋の大会Lの部連覇を果たしたあすなろ杯でもAチームのメンバー/フォーメーションはほぼ固定。
FCのトップチームとして初めてのぞんだ5年冬の市長杯では章太のスピードを生かしサイドに、トップ下にはボールをキープでき、アイデアあるパスを出す亨を配置する布陣へ。このフォーメーションは6年の半ばまで続きます。
春の木村和司杯では15名のメンバーで臨みましたが、先発のメンバーはほぼ固定され、剛志−将馬−侑希−亨のセンターラインががっちりし、しっかり気持ちが入ったプレーをすれば安定した成績が出せるようになってきた感じ。
木村和司杯決勝トーナメントでは、強豪相手に章太をボランチに入れる4−2−3−1のフォーメーションが出現。
そしてこの大会を最後に慎也がAチームを離れましたが、チームはさらに熟成していきます。
そして振り返ってみるとチームとしては絶頂にあったと思われるのが6年生の9月のこのフォーメーション。夏季区大会とMHI横浜カップではほぼこのメンバーが中心になっていましたが、相手を寄せ付けない強さを見せて公式戦を2週連続優勝。
秋の国チビでは、通常は4−4−2、強いチームとの試合では4−2−3−1とフォーメーションを使い分けましたが、さすがにマリノスには通じなかった・・・
チームのさらなる飛躍を期して、櫻井コーチが11月の藤沢招待で試したのが3−4−3の超攻撃的フォーメーション。GKがスイーパーを兼ねるというコンセプトのフォーメーションでしたが、子どもたちの理解を越えてしまったのかこれはうまく機能せず。
再び4−2−3−1でサイドを使う攻撃を熟成し、最後の県大会・区大会に臨みました
冬の公式戦でいいところを見せられなかったのは残念。かんりにんが思うに、フォーメーションのせいというよりは、秋以降、Aチームの選手たちの間に微妙な温度差ができてきたというのがその原因だったのかもしれません(これはかんりにんの私見)
こうしてフォーメーションで振り返ってみると、だんだんとお子ちゃまサッカーから、曲がりなりにも世界でもスタンダードのサッカーへと子供たちのサッカーは変貌したきたことがわかります。
ただ見ていても面白かったですよね・・・
【"G96"研究所の最新記事】


